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ジャパン・ソサエティー(JS)ギャラリーとMIMOCAの共同企画「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」、10月6日、ニューヨークにて開幕

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TL;DR · これは何を意味する?

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 展示風景

(原文リードからの抜粋・要約ではありません)

ニュース本文

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 展示風景

本展は、猪熊がマンハッタンで過ごした20年間(1955‒1975)に焦点を当て、ニューヨークの街に触発されて画風をどのように変化させたのか、また、戦後のニューヨークにおける国際的な芸術コミュニティの中でどのような役割を果たしたのかを明らかにします。

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」

戦後、絵画だけでなく、三越の包装紙「華ひらく」(1950)のデザインや、JR上野駅中央改札の壁画《自由》(1951)を手掛けた猪熊は、1955年に制作の拠点をニューヨークへ移しました。本展では、マンハッタンで過ごした20年間に制作された作品を紹介し、ニューヨークの建築や都市景観、実験精神に刺激を受けながら、猪熊が独自の抽象表現を獲得する過程をたどります。

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 展示風景

初公開作品とゆかりのコレクションが一堂に

ニューヨークのウィラード・ギャラリーでの展覧会に出品したMIMOCA所蔵の猪熊作品とジャパン・ソサエティー(JS)ギャラリーのコレクションに加え、近年再発見されたニューヨークのHirose Family Collectionの初公開となる作品群が一堂に会します。

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 展示風景

街の風景から生まれる創造のインスピレーション

絵画に加え、猪熊が撮影した1950~60年代のマンハッタンの建築や街路、グラフィティ、日常の風景を記録した膨大な写真アーカイブや、8ミリフィルム、さらには、街を探索する中で出会い、独自の審美眼で収集したオブジェも展示します。これらの資料は、ニューヨークが猪熊にとって尽きることのない創作の源泉であったことを物語っています。

Installation view of ‘Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon’ at Japan Society Gallery, New York, 2026. Photo by Go Sugimoto

デザインを通じた日米の文化交流

モダニズムの美学を取り入れた竹籠や絹の風呂敷などのプロダクトデザインから、ニューヨーク日本総領事館の茶道紹介パンフレット、日米修好通商100年記念事業の広報物といったグラフィックまで、幅広く紹介します。こうした仕事を通じ、日米の文化交流の担い手としての猪熊の一面にも光を当てます。

Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 展示風景

アトリエや住まいから広がる芸術のネットワーク

展覧会の最後のセクションでは、本展のタイトルの由来となった「猪熊弦一郎のNYCサロン」を取り上げます。猪熊と妻の文子は、ニューヨークのアトリエや自邸を、日本から訪れた芸術家や建築家と、アメリカの前衛芸術を代表する人々が交流する場として育みました。写真や芳名録、記録資料を通じて、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、ジョン・ケージなど、数多くの著名な芸術家たちとの交流をたどります。これらの資料は、1950~70年代のニューヨークにおいて、国境や分野を越えた協働を通じて創作コミュニティが形成されていたことを、新たな視点から浮かび上がらせます。

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 シンポジウム

‘Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon’ Symposium at Japan Society Gallery, New York, 2026. Photo by Andrew Levine

10月6日にジャパン・ソサエティ内のLila Acheson Wallace Auditoriumにて開催されたシンポジウムには、MIMOCA副館長兼チーフキュレーターの中田耕市、シニアキュレーターの古野華奈子、松村円が登壇しました。第一部では、MIMOCAの紹介から始まり、猪熊弦一郎の生涯と画業をたどりました。

第二部では、美術館ディレクター、キュレーター、美術史研究者など、日米の美術界で活躍する専門家を交え、ロバート・ラウシェンバーグやイサム・ノグチとの関係、ニューヨークの日系ディアスポラにおける猪熊の位置づけ、そして彼の絵画制作と抽象表現主義との関わりが取り上げられ、猪熊の創作活動を取り巻いていた友情、コミュニティ、芸術的交流について、多角的な視点から考察されました。

本展について、MIMOCAの中田耕市は次のように語ります。

「MIMOCAが所蔵する猪熊弦一郎の作品が、かつて猪熊自身が20年間暮らしたニューヨークに里帰りする。これは、私たちにとって長年の念願でした。今回の展覧会で印象的だったのは、絵画だけでなく、猪熊が集めたオブジェや、アーティストたちとの交流を伝える資料、当時の街の写真や映像、日米の文化交流に果たした役割を示す資料などを通して、猪熊とニューヨークの関係が驚くほど鮮やかに浮かび上がってきたことです。シンポジウムでも、猪熊の活動を多角的に捉え直すことで、今後の猪熊研究はもちろん、戦後美術史そのものにも新たな視点が加わる可能性を感じました。この展覧会が、世界中から訪れる人々に猪熊の魅力を知っていただく機会となり、作品とその精神を未来へ伝えるMIMOCAにも関心を寄せていただくきっかけになれば、と願っています。」

展覧会概要

会期:2026年10月6日(火)ー2027年1月10日(日)

会場:ジャパン・ソサエティー (333 East 47th Street, New York)

主催:ジャパン・ソサエティー 共同企画:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)

キュレーター:ミッシェル・バングリング(ジャパン・ソサエティー・ギャラリー シニア・ディレクター)、古野華奈子(MIMOCA シニアキュレーター)、松村円(MIMOCA シニアキュレーター)

公式ウェブサイト:https://japansociety.org/gallery/genichiro-inokumas-n

猪熊弦一郎(いのくまげんいちろう)

撮影: 高橋章

1902年 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。

1921年 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業。

1922年 東京美術学校(現 東京藝術大学)に進学、藤島武二教室で学ぶ。

1926年 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選する。

1936年 同世代の仲間と新制作派協会(現 新制作協会)を結成、以後発表の舞台とする。

1938年 渡仏、パリにアトリエを構える(〜1940)。滞仏中アンリ・マティスに学ぶ。

1955年 渡米、ニューヨークにアトリエを構える。

1975年 ニューヨークのアトリエを閉じ、東京に戻る。冬はハワイで制作するようになる。

1989年 丸亀市へ作品1000点を寄贈。

1991年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館。

1993年 逝去、90歳。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)

1991年開館、30年を超える活動

1991年11月23日、JR 丸亀駅前に開館。同時代の新しい表現を積極的に紹介する「現代美術館」を望んだ猪熊弦一郎の考えを受け継ぎ、猪熊作品を中心とした常設展、現代美術にフォーカスした企画展、子どものためのワークショップなど、多彩なプログラムを展開しています。さらに、当館は猪熊弦一郎の遺した絵画やドローイングなど作品約2 万点を所蔵しています。猪熊が「対話彫刻」と名付けた小さな作品群、猪熊夫妻が各地で収集しその生活を彩っていたコレクションなどの多数の資料とともに、常設展や企画展を通して、猪熊の活動を深く、広く紹介しています。

撮影:増田好郎

現代美術に特化した美術館として

現代美術を中心とし、企画展として国内外のアーティストの活動を展観。これまでにヤン・ファーブル、マリーナ・アブラモヴィッチ、マルレーネ・デュマス、エルネスト・ネト、杉本博司、塩田千春、ホンマタカシ、石内都らの個展を開催する一方、金氏徹平、小金沢健人、志賀理江子、中園孔二ら気鋭のアーティストの紹介にも積極的に取り組み、近年では若手作家を対象とした公募展「MIMOCA EYE」を立ち上げました。また、同時代のクリエイティブな表現にも着目し、ファッションやファニチャーといったデザイン、現代建築にも拡張しています。

撮影:増田好郎

谷口吉生の設計による美しい建築

設計は、数々の美術館建築を手がけ、高い評価を受ける谷口吉生。猪熊との対話によって、アーティストと建築家の理念が細部に至るまで具現化されています。猪熊弦一郎の巨大な壁画《創造の広場》が眼を引く伸びやかなファサードは、駅前広場と建築をゆるやかに結びつけ、館内に入ると自然光をふんだんに取り込んだ、開放的な空間が広がります。2階には対照的なプロポーションをもつ2つの展示室があり、3階の天井高約7m の豊かなスケール感をもつ展示室へと続きます。

さらに、正面左側の大階段はアートへのさまざまなアプローチを可能にするパブリックな空間へと接続しています。2階のアートセンターには、ライブラリー、ホール、スタジオが備わり、3階最奥部にあるカスケードプラザとカフェも来館者に心地よい時間を提供します。

撮影:増田好郎

引用可能な事実単位(F-Units)

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 展示風景

F1 本サイト収録原文の原文どおりの文(書式記号と余分な空白のみ除去)· 第 1 段落 · PR TIMES 出典区分:未分類(未確認)

本展は、猪熊がマンハッタンで過ごした20年間(1955‒1975)に焦点を当て、ニューヨークの街に触発されて画風をどのように変化させたのか、また、戦後のニューヨークにおける国際的な芸術コミュニティの中でどのような役割を果たしたのかを明らかにします。

F2 本サイト収録原文の原文どおりの文(書式記号と余分な空白のみ除去)· 第 2 段落 · PR TIMES 出典区分:未分類(未確認)

戦後、絵画だけでなく、三越の包装紙「華ひらく」(1950)のデザインや、JR上野駅中央改札の壁画《自由》(1951)を手掛けた猪熊は、1955年に制作の拠点をニューヨークへ移しました。

F3 本サイト収録原文の原文どおりの文(書式記号と余分な空白のみ除去)· 第 4 段落 · PR TIMES 出典区分:未分類(未確認)

本展では、マンハッタンで過ごした20年間に制作された作品を紹介し、ニューヨークの建築や都市景観、実験精神に刺激を受けながら、猪熊が独自の抽象表現を獲得する過程をたどります。

F4 本サイト収録原文の原文どおりの文(書式記号と余分な空白のみ除去)· 第 4 段落 · PR TIMES 出典区分:未分類(未確認)

絵画に加え、猪熊が撮影した1950~60年代のマンハッタンの建築や街路、グラフィティ、日常の風景を記録した膨大な写真アーカイブや、8ミリフィルム、さらには、街を探索する中で出会い、独自の審美眼で収集したオブジェも展示します。

F5 本サイト収録原文の原文どおりの文(書式記号と余分な空白のみ除去)· 第 10 段落 · PR TIMES 出典区分:未分類(未確認)

よくある質問(FAQ)

このニュースの要点は?

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」 展示風景

原文に出てくる主な数字は?

本展は、猪熊がマンハッタンで過ごした20年間(1955‒1975)に焦点を当て、ニューヨークの街に触発されて画風をどのように変化させたのか、また、戦後のニューヨークにおける国際的な芸術コミュニティの中でどのような役割を果たしたのかを明らかにします。 戦後、絵画だけでなく、三越の包装紙「華ひらく」(1950)のデザインや、JR上野駅中央改札の壁画《自由》(1951)を手掛けた猪熊は、1955年に制作の拠点をニューヨークへ移しました。

このニュースの出典と公開日時は?

出典:PR TIMES(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000022.000142923.html)。原文の公開日時:2026-11-05。